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匠に聞く

シチズン平和時計株式会社
橋場悦子

笑みと決意の人

平成17年にシチズン平和時計株式会社の社内規定で最も優れた技能を持つスーパーマイスターにただ1人選ばれ、平成18年には「時計・修理工」職種で卓越技能(信州の名工)に選ばれる。そして、平成21年度の厚生労働大臣表彰「現代の名工」を受章。
つまり、橋場さんは時計組立の超一級なプロフェッショナルなのである。取材にお伺いした飯田市の本社会議室でお待ちしている間、やはり緊張してしまう。

会議室のドアが開き、「こんにちは、よろしくお願いします」と入ってこられた橋場悦子さんはにこやかな笑みが似合う方で、なんというか友人のお母さんのような親しみを感じた。
この方がどのように時計組立の道を歩み、「現代の名工」まで受賞し、今もなお最前線で技能をふるっているのか、個人的にもとても興味が湧いた。


飯田生まれの飯田育ち

持参した昭和40年代モデルのシチズン時計を「懐かしい~、作ったわ~」と夢中になる橋場さんと佐々木室長

橋場悦子さんは飯田生まれの飯田育ち。
伊賀良中学を昭和42年に卒業して株式会社平和時計製作所(現:シチズン平和時計株式会社)に入社した。
お姉さんがすでに入社しており、同時期に高校を卒業したお兄さんと同時入社。兄妹三人がシチズン平和時計に入社したのだ。
バイクで会社に通勤しながら、飯田風越高等学校定時制に通った。機械式時計の販売が最盛期だった当時、一月で何十万個もの時計を組み立てながら定時制に通うのは体力的にもかなり大変だったろうと思うのだが、ご本人は「当時はそれが当たり前でしたからね~」と懐かしそうに笑う。

時計製造は製糸業からの流れが色濃いため、「女性が働く」場として一般的であり、シチズン平和時計でも飯田近辺の女性の働く場として大きな役割を持っていた(橋場さんが入社した昭和42年は100人近くが新入社員として入社した)。
時計組立というラインの合理性、緻密性を支えてきたのが、そういった「働く女性」たちであった。
昭和40代前半はシチズンのベストセラーとなった『クリスタルセブン』(当時世界一薄型のカレンダー付き自動巻腕時計)の組立をシチズン平和時計で行っていた。何十人もの女性がいくつかの組立ラインを作り、ここで組み立てられた『クリスタルセブン』が日本中に出荷された。橋場さんもラインの中で夢中になって組立を担当していく中、技能を身につけ、さらにはラインの責任者としての立場を確立していく。


結婚、育児をしながらの時計組立

入社して10年、26歳のときに結婚。
当時は産後6週で出勤だったため、預かってくれる人、保育園を確保しながらの職場復帰。仕事で朝早く出勤になったときなどは保育園の園長先生が自分の自宅に子どもを連れて面倒を見てくれていたそうだ。
「今なら考えられないことよね」と笑う橋場さん。
そうやって育児に仕事にとがむしゃらに進んでいくなかで、28歳のときには一つの組立ラインの責任者となっていた。

橋場さんと話していて思うことは、「この人は笑いながら話すけれど、きっとすっごく負けず嫌いな人なんだろうなあ」ということだ。

話がぐんと先に飛んでしまうが、組み立て部門スタッフに国家資格である「時計技能士一級」を取得させようというプロジェクトが会社内で生まれた平成14年頃、橋場さんにも白羽の矢が立った。機械式時計量産の立ち上げにまで関わっていた橋場さんであるから、技能的には当然かもしれないが、当時すでに管理者であり、後進の育成にあたっていた。
「いくら橋場さんでも現場を離れて数年も経ってしまったから難しいんじゃないか」という声も耳に入ったのだという。
そこで留まってしまうのでなく、「やってやろうじゃないかあ」と一念発起するのが橋場さんなのである。
実技試験については自信があった。不安だったのが学科試験だ。勉強しなおさなければいけないし、年齢的に覚える作業がつらい。しかし、夫の親身な協力もあって(日々、時間があると問題を出される)、見事に時計修理技能士一級に合格するのだ。
この「やると決めたらやる」という精神の確かさのようなものを橋場さんから強く感じる。


機械式からクオーツへ
技能者から管理者へ
そしてまた、高級時計の組立技能者へ

ちょっとした力加減で針が反り返ってしまうほど繊細な感覚が必要となる針付け作業。熟練の感覚で押しながら文字板に平行に置いていく。電子化によって秒針の動きが複雑になり、秒針の動きと秒目盛を美しく一致させることも組立作業の大きな役割となる

昭和42年から時計組立に関わってきた橋場さんの技能人生はそのまま腕時計の歴史ともリンクする。
昭和48年には「新しい時計の時代」の象徴である本格的水晶式ウオッチ『シチズンクオーツ』(後にシチズン クオーツ クリストロンに改称)が登場。機械式とクオーツは駆動システムが違うため、「どうすれば、美しく、正確に時を刻める組立ができるか?」を一から確立しなおさねばならなかった。
そして腕時計が万年筆と同じように大人の必需品だった時代から、裾野の広いマスプロダクツ時代へ移行するなかで生産管理者としての業務を実践しなければならなかった。
オートメーション化が進むなかで後進の技能育成を確立しなければならなかった。
そして21世紀が始まると、職人的技能が再評価される高級腕時計復権の時代がやってきた。

ざっと書いただけで、この40年で腕時計の世界は大きな変化を続けている。橋場さんのみならず、腕時計に関わっている全ての人たちはこの大きな変化に対応し、試行錯誤し、さらに良いものを目指している。
橋場さんは現場の組立スタッフから始まってラインリーダーとなり、ライン管理者となり、他エリアでのライン立ち上げの講師となり、後進育成の講師となり、そしてまた最高技能者として組立現場に帰ってきた。取材させていただいた側から見ると、「伝統あるサッカーチームが優勝を実現するために呼び戻した往年のプレイヤー」という趣さえある(ご本人は笑って否定するでしょうが)。

今、橋場さんはシチズン時計の関連ブランドである高級モデル『カンパノラ』の組立を担当している。また、橋場さんの部署ではシチズンブランドを代表する新型機械式ムーブメント『ザ・シチズン』の完成品組み立ても請け負っている。
職人的技能が再評価される高級腕時計が、橋場さんを筆頭にした「南信州高級時計工房」でまさに組み立てられ、全国に届けられている。それは40年前の『クリスタルセブン』が橋場さんたちの手によって組み上げられて日本中に出荷されたのと何も変わらない。
確かに扱っている時計の高級さや複雑さなどは入社当時と比べてはるかに高度になっているかもしれない。
でも、取材中に橋場さんが話してくれたこんな言葉がぼくには「ああ、一緒なんだな」と思わせてくれた。

「時計を組み立てるときの『高精度にしたい、美しく仕上げたい』という気持ちは入社当時から人一倍強かったと思う」
この橋場さんの心が40年前と何も変わらないまま大きな大きな大樹となって今ここに茂っているんだ、と相変わらず親しみぶかい笑顔を見て思った。

CAMPANOLA(カンパノラ)
The CITIZEN(ザ・シチズン)


社名 シチズン平和時計株式会社
代表取締役社長 川口 敦夫
設立 1949年
事業内容 完成品時計組立、ムーブメント組立、時計基板実装、部品加工、FA装置開発、電子機器組立、時計・宝飾販売
従業員 390名(平成21年現在)
資本金 8000万円
住所 〒395-0195 長野県飯田市下殿岡435番地
TEL 0265-28-1500
FAX 0265-28-1502
URL http://www.heiwatokei.co.jp/